小学校の頃、男子はトイレが「大」と「小」に分かれており、「大」の方に入るヤツがいると、ほんの15分程度の休み時間中に、それこそFacebook並みの瞬く間にその情報が拡散し「今教室にいないのは◎◎だ!だから個室に入っているのは◎◎に違いない!」という犯人探しが始まった経験はないでしょうか。(あれ・・・うちの小学校だけか・・・?)
場面は変わり、今はもう社会的に合理的な考え方が浸透してきていますが、私が新卒で入社したピュアな頃、業種的な理由もあるのですが「朝8時から夜9時まで仕事をすることは当たり前。事務処理は夜9時以降に」という暗黙のルールがありました。
その結果、例え手持ち業務が無くても夜9時までは在籍していなければならない雰囲気があり、それより前に帰ろうものなら「犯罪者」。
そう、冒頭で述べた犯人扱いと水準的には一緒です。
自分の席を離席し、出口に至るまでに3.4人に呼び止められ「なぜ帰るのか」「帰らなければならない程の理由なのか」「俺がまだいるのに帰るのか」と質問の波状攻撃を受けた記憶があります。
私は当時から要領がよかったので、一度経験した後は、攻撃を受ける前に比較的思うがままに帰ったりしていましたが、まじめな同僚等はたまらず引き返してまた仕事をしたりしていたようです。
当時の上司等は、支店長に「休むんならやることやってから休んでくれや!?」等と恫喝され、「あれじゃ~休んでられないだろうな~。」と気の毒になったものです。
・・・やることやってから休むって、当たり前じゃん・・・。
さて、そうした体制の中で、果たして費やす時間=時間外手当に応じた生産性が確保出来ていたのか、甚だ疑問です。
ハッキリ言って嫌でしょうがなかったですね。不毛な感じ。
翻って今、業務量的には当時の何十倍になっており、費やす時間も当時の比ではなく、時期によってはまさにデッドオアアライブ状態です。
しかしその状態、もちろん改善の余地はまだまだありますが、決して無駄な時間を含んでいる訳ではなく、やらなければならないことをやらなければならないだけやっているわけで、肉体的には疲労が出ても、気分的には充実しています。
当時と何が違うのか、立場=責任はすべて自分という問題が一番かとは思いますが、それとは別に「時間を有効に利用しているかどうか」の違いだと思います。
1日はだれでも24時間なわけで、その24時間をどう使うか。
確かに、とんでもない金額を稼いでいる知人達は、例外なく仕事も遊びも徹底しています。
物凄い仕事をしている一方で、飲んでも凄く面白い。
無駄を省いて徹底的に集中し、息を抜くときは抜く。
それが大事なんでしょう。